保護猫のいる映画部屋

猫と映画とドラマと暮らし☆

ペットを飼うこと

 

我が家には現在20歳を超えたご長寿ニャンコがふたりいる

 

「ふたり」という表現は動物嫌いな人からはけしからん!擬人化するなと言われそうだが「2匹」とはどうしても言えないくらい愛しているふたりなのだ

 

名前は「のり」と「雪」

 

(写真はまだ若い頃のふたり)

 

もともとは5ニャンズ(さすがに5人とは言いにくい)いたのだが、3ニャンズはすでに虹の橋を渡ってしまった。

 

残ったおばあちゃんニャンコふたり。お互い助け合いながら残りの猫生をまったりと生きている

 

先に逝ってしまった子たちへの思いも深く忘れられない大切な存在であることは間違いない。

 

 

良く犬派?猫派?と聞かれるが私はその質問が大嫌いだ。

犬は好きだが猫は嫌いとか猫は好きだが犬は嫌いとか、ありえないからだ。

どちらも愛しくて大好きだ。

 

我が家が猫ばかりを保護したのはたまたま出会ってしまったからとしか言いようがない。

もし、可哀そうな野良キリンと出会ってしまっていたら、きっと保護してキリンが飼える田舎に引っ越していただろう。

 

元々家猫種の日本にいる猫たちは人間と共存してしか生きられないようになっている。野生の家猫種など居ない。

 

人間の身勝手で捨てられ「野良猫」と呼ばれる猫が増えている。

 

野良猫は自由気ままでうらやましいなどと言う人もいるが、大きな間違いだ。

 

特に都会で暮らす外の猫たちの過酷な現状には胸が痛くなる。

そんな現状を知ってしまいたまたま出会ってしまって保護できる状況にあったから保護してしまった ー そんな自然な縁で我が家の5ニャンズ達とは出会った。

 

近年の猫ブームで「猫は飼いやすい」などと気軽に飼ってしまう人もいるが、

猫を飼うということは

大切なブランドバッグにゲロを吐かれても「ありゃま」と言ってゲロ掃除を喜んですること。

 

疲れてようやく帰宅して玄関のドアをあけたらゲロだらけでも「またかよ~」と嘆きながらも拭き掃除を始められること。

 

食事をしている時に限って、猫トイレから香ばしい香りを漂わせ、排泄後のハイ状態で走り出す猫に「くっさいなぁ」と言いながら自分の食事の手を止めトイレ掃除をすること。

 

くつろいで座っていると膝の上に乗ってきてそのまま眠りについた猫のために何時間もトイレに行くのを我慢すること。

 

病気やケガをしたときには、すべての用事をキャンセルして獣医さんに走ること。

獣医さんには1万円札を数枚でもお支払いすること(かなり財布には厳しい)

 

自分自身が体調を崩し寝込んでいるときには、冷たい対応の家族に絶望しても、そっと寄り添ってくれる毛むくじゃらの我が子がいること。

 

ひとり泣いていると、ザリザリとした舌で涙をなめてくれること。

 

病気や老衰でとうとうその日が来た時には、心から「ありがとう、ずっと愛しているよ」と伝えて送らせてもらえること。

 

そして飼い主がその日を迎えたら、「大丈夫だよ、僕は、私はここにいるよ」と

体いっぱいに喜びを表現してこちらに向かってくる我が子が虹の橋のたもとで待ってくれていること。

 

ペットと暮らすということはそういう最高の人生を送れることだ。

 

5ニャンズそれぞれ体格も性格も違った、それぞれに思い出もたくさんある。

 

今いるふたりのうちの「のりちゃん」は、娘が小学生の時に接着剤まみれで動けなくなっているところを発見。

獣医さんに連れて行くと、ネズミ捕りなどにかかった感じとは違って、あきらかに上から接着剤を掛けられた様子。

幸いにも目には入っていなかったからよかったが、それ以外にも虐待を受けた形跡もあったため迷わず我が子にしたのだ。

 

接着剤まみれだったため「のり」と命名。ひどい飼い主だ。

 

 

雪ちゃんはのりを保護してから1年後くらい、当時は雪の多い地方に住んでいた

その冬も毎日雪が降り積もっていたのだが、毎晩我が家の庭に現れる長毛の綺麗な猫。朝起きて庭に出るとかわいらしい足跡が雪の上に残っていた。

ご近所さんたちに聞いたところどうやら引っ越しをしていった家族が置き去りにしていった子だとわかった。

その夜その子が庭に現れたのを見てすぐに庭側のドアを開けてボールを転がしてみたら、まんまと我が家に入ってきて捕獲成功。そのまま我が子になったのだ。

 

雪の上の足跡が切なくて雪ちゃんと名付けた。

 

ペットを飼うことは命を預かること。生涯を共にすること。

 

決して簡単に始めることではないが、我が家では、出会ってしまったから運命さ!と簡単に我が子にしてしまったのだ。

 

この子の命尽きるまで一緒にいるという覚悟など一瞬でできたから。

一瞬でその覚悟が出来ない人は飼わないでほしいと心から思う。

 

できる人にはぜひともこの何とも面倒でなんとも大変で、そして何よりも愛しくて可愛くて仕方のない我が子と生涯共に暮らすことができる幸せを味わってほしいと切に願うのだ。